そうですね、曖昧といえば曖昧なんだけど、言葉を大切にしているかなというのを見ますね。言葉というのは、ある概念の歴史的な由来への感性があるかなと。西洋語の概念は歴史の重みとネットワークあって、その配慮がないと使えないのですよ。日本のインテリは言葉に酔ってしまうか、あるいは、○×的な正否で知識にしてしまう。基本的に学問というのはそうは割り切れない部分というか徒弟訓練みたいのがあって、狡賢くは逃げられないようになっている……そんな感じかな。もうちょっというと、知的であること(私は賢い)、正義であること(これが正しい)というのに、あるルールを意識しているような抑制性がありますよ。